誰もがみんな神様の可愛いお子様

ここ、平戸教会のお広前には、心に深い苦しみを抱えた方が参ってこられます。まるで、神様に手を引かれるように・・・
昨日、遠方から初参拝の予定がありました。私はご祈念しながらお結界に座り、氏子の参拝を待たせていただいておりました。
ところが、お約束の時間になってもお姿は見えません。それから一時間、二時間、祈りながら待たせていただいておりましたが、やはりお姿が見えません。
道に迷っているのかな、無事だろうか、そういえば昨日、消えたいって言ってたなあ、まさか…不安がよぎります。
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その時、ある日の出来事を思い出しました。それは、何年も前のことです。私は、私にとっての信心の師匠である先生に、お取次をお願いしました。
「先生、今日、平戸教会に参拝予定の氏子が、近くまで来てるらしいのですが、急に音信不通になりました。もう今日はお参りができないかもしれません。残念ですが、命の無事をご祈念させていただきます」
すると私の信心の師匠である先生は、温かく包み込むように、このようにお取次くださいました。
「佳世さん、諦めず、必ず参ってこられると信じて待たせていただきましょう。先生も、ご祈念させていただきます」
私はハッとし、私が諦めてはいけないと思い直し、また神様にお引き寄せをご祈念させていただいておりました。
そしたら教会の玄関がガラガラガラ・・・と開く音がして、氏子の姿が見えました。
私は嬉しくて嬉しくて、「よくお参りですね」と声をかけながら、目頭が熱くなり、神様に御礼を申し上げていました。
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そんな数年前の出来事を思い出しながら、昨日、氏子の無事をご祈念しながら、必ず参拝されると信じて待たせていただいておりました。
だんだんと日が暮れはじめ、平戸島はひっそりと静かになりあたりは暗くなってきました。
「少し心配だから、教会の前まで様子をみてきます」
そう言って玄関を出ましたがやはりお姿が見えず、しばらくしてお教会に戻り、また一時間、二時間、三時間と参拝を待たせていただいておりましたが、結局その日、氏子は参拝されませんでした。
今、無事でいてくれるだろうかと、ただただ身を案じています。また神様のもとに参ってこられると信じ、お引き寄せを祈らせていただいております。
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私が心も体も一番しんどかった時、
消えたい…自分の存在を消してしまいたい…
そんな風に思っていたことを、ふと思い出しました。死んでいてもおかしくなかった私の命を、私の信心の先生が何度も何度も救ってくださいました。
そのご恩を胸に、今度は私が助けたいと願い、今日も氏子の参拝を信じて待たせていただいております。
誰もがみんな神様の可愛いお子様です。ただただ幸せになってもらいたいです。
※写真は一歳半になった次女です。