ポエム

ただ聴いてほしいだけ

hosokawa

ご相談者の方が、教えてくださいました。

「私は、ただ、自分の気持ちを聴いてもらいたいだけ、誰も困らせたくないし、悩ませたくない」
「細川先生は、私が何をいっても、落ち着いていますね・・・よかった・・・(T_T)」

一般的に”相談をされる”と、どなたも解決策をいってみたり、励ましたり、慰めたり、病院につれていったり・・・「なにかしなくちゃ」と思われます。しかし、良かれと思ったことが、お相手をひどくしんどくさせることがございます。

ただ聴いてあげる。
それだけでいいのに、「なにかしなくちゃ」になっちゃう。

ただ聴くだけ。
実は難しいことだったりいたします。

なぜ難しいのでしょうか。

これは、聴くものの、信心で決まるように思います。
信心とは、人間に宿る”たましい”が、常に最善最高のお働きをしていることを、腹の底から知っており、信じている状態のことです。(なんか難しいですね)

つまり、自分を信じているか?
相手を信じているか?
心の奥底から信じきれているか?
それに尽きるし、それに人は敏感です。

お相手のたましいは、すでに解決策も知っているし、励ましあるし、慰めも知っている。

その上で、「ただ聴いてほしいだけ」なのです。
つまり、求めているのは、解決策ではなくて、信じあえるという「繋がり」なのです。

繋がりというものは、一朝一夕にできるものではありませんから、ときに、”物足りない”と思われるかもしれません。一瞬で心がスカッと晴れ渡るような教えや名言のようなものは、一時的に気分を高める薬物と同じでございます。あっという間に効果は薄れるでしょう。

繋がりとは、じんわりと、あたたかいもの。じんわりと、心地よいもの。
繋がりはプリンよりも柔らかくて、くずれやすいから…大切に。

愛情というものは、じんわりと、あたたかいもの。じんわりと、心地よいもの。
心はプリンよりも柔らかくて、くずれやすいから…大切に。


ひろのぶ先生



ABOUT ME
ひろのぶ先生
ひろのぶ先生
長い間、実家である平戸教会から離れ、福岡の中心街で広告代理店を経営し順調に業績をあげていたが、数年後あっという間に倒産に追い込まれる。燃え尽き症候群、社会不安性障害に苦しみ、死んだように生きていた。 そんな中、恩師によって助けられ、生きづらさの根底にあった幼少期から受けてきた家庭内暴力に向き合う中で一筋の光を見出す。 自分が命を助けられたお取次によって、人を助けたいと神様に願う日々を送っている。 現在、「死にたい」と泣いている方のお話を、日々聴かせていただいております。
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