教話

柿谷曜一朗選手のことば

hosokawa

私は、サッカーが好きです。

中学校時代。

昼休みと放課後に、みんなでワチャワチャプレーするサッカーが好きでした。
サッカーがへたな私に、みんなが点をとらせようとしてくれました。
それが嬉しかったんですね。

先日引退された柿谷曜一朗選手は、
人間らしくって、一番好きな選手です。

引退会見で、心を打ったお話を。

寝坊した末に練習への遅刻を繰り返すなど、ピッチ外での素行が問題視された柿谷は2009年6月に、武者修行というよりも追放される形で徳島へ期限付き移籍。美濃部直彦監督(59、現・飛鳥FC監督)の厳しい指導のもとで精神的にも成長し、2012シーズンのセレッソ復帰後の飛躍につなげたキャリアが知られている。  もっとも、実際は違ったと人懐こい笑顔を浮かべながら明かす。

「いまだからこそ話せるけど、徳島でも遅刻はしていました。いきなりそんなに変わるわけがないけど、自分はサッカーが好きやったし、自分の見せ方を見つけたのもあったし、それを許してくれた人たちに出会えた。それがすべてですね」  

美濃部監督やクルピ監督、さらにさまざまな形で支えてくれた当時の先輩選手たちへ感謝した柿谷は、35歳になったばかりの自分をこう位置づけた。


「僕は正直、若いときは本当に問題児で、いろいろな意味で大人じゃないまま、未熟なままで35歳になったと思っています。その意味でも、もしいまの自分が19歳のときの自分に何かを言ったとしても、どうせ何も聞かへんでしょうね」

「それを許してくれた人たちに出会えた。それがすべてですね」
「いまの自分が19歳のときの自分に何かを言ったとしても、どうせ何も聞かへんでしょうね」

どうせ何も聞かない・・・そんな自分を許してくれる人との出会い。
それに尽きますね。

みなさん、「変わらなければいけない」「変えなければいけない」そうではないといけないと思われている。

でも、実は、人間というものは「変わらない」んです。
どんな自分でも許してくれる人との出会いこそが、すべてなのです。

私は、その許す人になりたい。
あなたと出会いたい、もっとお話をしたい。


ひろのぶ先生

ABOUT ME
ひろのぶ先生
ひろのぶ先生
長い間、実家である平戸教会から離れ、福岡の中心街で広告代理店を経営し順調に業績をあげていたが、数年後あっという間に倒産に追い込まれる。燃え尽き症候群、社会不安性障害に苦しみ、死んだように生きていた。 そんな中、恩師によって助けられ、生きづらさの根底にあった幼少期から受けてきた家庭内暴力に向き合う中で一筋の光を見出す。 自分が命を助けられたお取次によって、人を助けたいと神様に願う日々を送っている。 現在、「死にたい」と泣いている方のお話を、日々聴かせていただいております。
記事URLをコピーしました